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Spark

火がつく瞬間って、ある。

なにもないところから突然弾けるんだ。火花のように。

それは新しい世界へ踏み出す一歩目だったり。それは衝撃的な出会いだったり。それはともすると人生を変えてしまうくらいの瞬間だったり。


そんな出来事があり、少しでも今の気持ちを形に残したく、こんな時間から筆を執る。



今日は同業種の人達が集まる交流会があった。

我々の世界ではリピートなんかほとんどない。食うか食われるか、今回は99点で惜しかったねーなんてことのない0か100かの世界。
だからこそ周りの同業者は全て敵。そんな感覚でいたから今までそんな集まりには参加したいとも思わなかった。
しかし、今のこのタイミングだからこそ、参加したいと思ったのかも知れない。


そこで出会ったある工務店の社長の話。
いい大人が真面目な顔して夢を語る。
建築業に携わる者とはどうあるべきか。

そこには損得なんて関係ない。ただ自分の愛する街を良くしたいという信念、ポリシーのようなものがある。

一部、言葉を借りながら書いていきたい。



世の中には2種類の会社があると思う。
・ただ利益を追求する会社
・地域社会に貢献する会社

この2つのファクターが両立することなどあり得ないと思う。
人はパンのみに生きるにあらず。
俺はその後者でありたいとただただ思う。



機械的にウチの商品こそが正義。他のものは全て紛い物だと、平気で出来合いのものを、然もあなたの為だけに作ったものですと提案する。
家造りは3分クッキングじゃねぇんだ。

それこそただの欺瞞、押し付けなのではないか。
CMでやってる?ブランド力?安心感?
糞食らえだ。

ただいたずらに利益率の高いものを売りつけられただけだ。
ではそれを知らないままでいることは幸せなのか?


所詮は仮面をつけたピエロの言葉。そこには熱の籠もった血の通ったものなど一切ない。
かねてからそのことには疑問を持っていた。
俺はただのマシーンになるつもりはない。



本来、家とはその人のああしたいこうしたいを形にするものである。
結果、予算が決まり、間取りが決まり、設備が決まり、仕上げが決まる。
そこに“提案”はあっても“押し付け”はあってはならない。

1番いいと思われるものを“処方”するのである。



我々は医者と同じだ。
医者は患者の症状を聞き、診察して適切な薬の処方なり必要な処置、治療など行うのである。

言わずもがな、医者は人の“命”を預かる仕事である。
我々は人の“幸せ”を預かる仕事。


悲しいかな、医療の世界でも金儲けは存在すると聞く。
よく分からんが、ベッドの回転率、新薬がらみのなんか、があるとかないとか。
勝手な俺のイメージかもしれないが。

理想とするのは小さな町医者。Dr.コトー先生のような。




話は少し逸れるが、世界最古の建築法規として古代メソポタミア文明のハムラビ法典にて、このような記述がある。

・建築工事が堅固でないせいで家が倒壊し、家の持ち主を死なせた場合、その家を建てた建築業者を死刑にする。
・同様に、家の持ち主の息子を死なせた場合は、建築業者の息子を死刑にする。
・同様に、家の持ち主の奴隷を死なせた場合、建築業者は同じ価値の奴隷を提供しなければならない。
・同様に、財産を破損した場合、建築業者はその財産を修復しなければならない。
・倒壊した家について、建築業者は自己の費用で再建しなければならない。


建築において、非常に重い刑罰が課せられているのが分かる。
人の“幸せ”を預かる仕事。その“幸せ”の中には当然“命”も含まれる。そんなことを心から理解している「営業さん」?一体何人いるんだろうか。




もちろん、企業である限り利益の追求は大事であるが、売対営利率が高いと踏ん反り返る社長がいたなら、大事なことはそこじゃないんじゃないかと言いたくなる。
まぁどことは言わんが。



結論として何が言いたいのかというと、大事なのは熱量だということ。
建築を愛していない者が建築に携わるな。またクライアントを愛していない者がその人の一生を預かるな。


それがまかり通る今の状況を変えたい。
微力ながら自分の携わる建築で人を幸せにしたい。

そう思う俺の変わらない、変わってはいけない初期衝動。


by YoHeY1002 | 2019-05-15 02:21 | まじめな話

徒然なるままに


by ヨウ